↑生後2日目(入院中)
入院中、母子同室になってから翔の面倒を自分で見始めた時、他の赤ちゃんは元気いっぱいに泣くのに、翔の泣き声はか弱くて小さい声なので、何か違うって思いました。
ミルクの飲みもあまり良くなくて、飲み終えるまでとても時間がかかりました。
他の子とかなり違ったので、看護師さんにうちの子に何かあるんじゃないか?って聞いてみたら、先生からは、未熟児と同じように対応して。としか聞いていないって言われました。
この時は、翔の個性だと思っていました。
↑生後14日目(退院後3日目)
ミルクは3時間おきで、その都度オムツを替えて、大忙しの日々でした。
↑生後5ヶ月
CK値と肝臓の値が高くて、脳のMRIで滑脳症の結果が出た頃。
生後7ヶ月になる2日前に、自宅で横向きにさせたまま、この日に限ってママは隣の部屋で洗濯物をたたんでいました。
大きな声でキャーとか聞こえてきたので、今日は翔くん元気いいなぁなんて思っていました。
少しすると静かになったので様子を見に行ったら、翔は、うつ伏せになって顔半分が真っ黒で他は蒼白状態。
息をしていなくて、脈もなくて心停止状態でした。
ママは、パニック状態になって翔の名前を呼ぶことしかできず、オロオロしていたのだけど、落ち着かなくちゃ!って思って大きく深呼吸をしました。
3回深呼吸をしたら落ち着きました。
救急車を呼ぶ前に、翔の蘇生を見よう見まねで実施したところ、弱々しいけど呼吸が戻りました。
救急車を呼んで、病院に直行しました。
1週間入院しましたが何事もなく、無事に退院できました。
この時は、自分が翔の事をよくみていなかったからって自分を責めました。
主治医の先生からは、お母さん、我が子だって24時間なんてみていられないよ。自分を責めちゃダメ!と言われました。
あのまま息が戻らない方が翔は良かったのかななんて思ったりもしましたが、すぐに思い直しました。
↑生後10ヶ月
病名(福山型先天性筋ジストロフィー)を宣告されてから、筋生検の結果待ちの頃です。
病名を宣告された時は、ママは大泣きしてしまったけれど、この笑顔を見て救われました。
泣いてちゃいけないって思いました。
↑1歳の誕生日
誕生日を迎えることができて本当に良かったって思いました。
女子医大に通い始めたのは1歳2ヶ月からでした。初診時に主治医から、ここまで大変だったでしょって言われて、分かってもらえる人がいて良かったと思いました。
いつも受診時に気をつける事を教えてもらって心強かったです。
↑2歳1ヶ月
翔の2歳の誕生日の写真が無いんです。
この頃は、食欲はあるのだけど、たんが邪魔して飲み込みも弱くて、食べたものをよく吐いて体重が増えなかった頃です。
1週間、経管栄養を経験しました。
↑2歳8ヶ月
母子通園に通い始めて3ヶ月が経った頃。
通園では、翔は慣れるまでピーピー泣いていました。
私たちに何かあった時とか、2人目の子供の時のことも考えて短期入所(ショートステイ)を開始したのもこの頃でした。
↑3歳の誕生日
風邪もひくけれど、少しずつ体調が落ち着いてきた頃。
通園にも慣れて、設定遊びも楽しんでいました。